従来の教育システムが想定しているもの

IT技術教育の中心的な課題は、技術革新のスピードにどのように対応するかということであるという僕の認識は、「レガシーとしての大学」の中でも述べました。

我々が、どう対応すべきかを述べる前に、小学校から中学校、高等学校、大学という従来の教育システムが、暗黙のうちに、あるいは当然の前提として想定しているものを整理しておきましょう。

まず、第一に、従来の教育制度は、学問や技術の教育内容の「相対的な不変性・安定性」を前提としています。小学校一年生での国語、中学校三年生での英語、高校二年生での数学等何でもいいのですが、その内容は、時代の要請に応じて少しずつ変化するのですが、10年前、20年前に教えられていたコンテンツが、一挙に陳腐化するというようなことはありません。大学の教育でも同じような現象があります。
線形代数」や「量子力学」も、「日本文学史」も、「相対的」には、「安定」しています。

第二に、従来の教育制度では、青少年期の一時期を「就学期」としてもっぱら学習に専念することが求められています。それが暗黙のうちに含意することは、人生の若い一時期を、勉強にあてさえすれば、その後の長い人生に対応できるということです。それはかっての職人が、徒弟として修行時代を過ごして職人になるという過程と同じことです。ギルドの認定を受けた親方が、あらためて徒弟の修行を受けることはありえません。現代でも、実態はいろいろでしょうが、医者や弁護士の「資格」は、一度取れば、終身保障されます。

第三に、従来の教育制度では、「世代から世代への」の知識・技術の継承が目的となります。国民教育の理念は、親の世代の知識・技術を、子の世代に引き継がせるのかという問題意識を、明確に持っているように思います。

こうした想定は、従来の教育システムを、基本的に特徴付けるものものです。